あなたは「勉強」が好きでしたか?
おそらく、多くの人にとって「勉強」は、退屈で、苦痛を伴い、できれば避けたいものだったのではないでしょうか。学校で何時間も座り、教科書に書かれた内容をひたすら暗記する。定期テストや受験のために、答えをひたすら頭に詰め込む。
それはまるで、意味もわからず、ただひたすら重い石を運び続けるような作業です。
しかし、なぜ、私たちは「勉強」をこんなにも苦痛に感じるのでしょうか?
「勉強」の本当の姿とは?
多くの人が「勉強」だと信じている行為は、実はその本質からかけ離れているのかもしれません。
そもそも、「勉強」とは何なのでしょうか?
私たちは、先人たちが苦労して見つけた答え(例えば、数学の公式や歴史上の出来事)を、自分の頭にインプットする行為を「勉強」と呼んでいます。これは、すでに存在している情報を、自分の「記憶」に落とし込む作業です。
これは、誰かが代わりにやってくれるものではありません。どんなに優れた先生が、どれだけ分かりやすい授業をしても、あなたの記憶にその情報を定着させるのは、あなた自身です。このプロセスを「独学」と呼ぶことにしましょう。
「思考」というもう一つのプロセス
一方で、私たちは、日常生活の中で、もう一つの全く異なるプロセスを無意識に使っています。
例えば、新しいゲームを始める時。
「このキャラクターはどうやって動かすんだろう?」
「このステージはどうやってクリアするんだろう?」
私たちは、説明書や攻略法を覚える前に、まず「試す」という行動を起こします。そして、「どうすればいいのか分からない」という疑問から出発して、試行錯誤を繰り返し、最終的に「わかった!」という感覚にたどり着きます。
この、「わからない」から出発して「わかった」にたどり着くまでの連鎖を、私たちは「思考」と呼ぶことにします。
私たちが「勉強」をきらう理由
私たちが「勉強」を苦痛に感じるのは、「勉強」と「思考」という、全く異なる2つのプロセスを混同しているからです。
私たちは、本当は「思考」を求めているのに、ただひたすら「勉強」(=記憶作業)をさせられているのかもしれません。
学校では、「思考」の時間を十分に与えられることなく、一方的な授業で、ただひたすら暗記を強制されます。これはまるで、走り方も知らないうちに、いきなりマラソンをさせられるようなものです。
しかし、もし、あなたが「勉強」と「思考」を明確に区別し、それぞれの正しい使い方を知ることができたら?
次回の記事では、この「思考」の正体を、あなたの身近な「わかった!」という感覚を通して、解き明かしていきます。
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